「今日、階段で転んじゃったんだよね…」
「仕事で失敗した…」
辛い経験、ちょっとした嫌なことや恥ずかしいこと…
何らかのネガティブな経験をした時に、そのことについて誰かに話したくなる人は多いはず。
この現象が起きる意味について、科学的観点から様々な研究がなされています。
目次
ネガティブな体験を話すことは当たり前のこと
不快な気持ちを呼び起こすような映像を見たとき、人はどのようにその経験を社会的に共有するのかについて調べた実験があります。
不快な映像を見た後の被験者を、友人と待合室で二人きりにした場合、その95.3%が、友人にその映像について語ったという結果があります。
また、そのことについて他者に話すことを禁止した場合でも、一週間後には、53%の人がそのことについて他者に話してしまったとのこと。
禁止されても止めることができないほど、嫌なことがあった時にそれを他者と共有したい欲求は強いようです。
臨床心理学においては、生じた情動を言語化することには、不安や緊張を取り除く「カタルシス効果」があり、精神的な健康につながるとされています。
抑うつからの回復にも大きな意味を持つ行動であり、人は「認知的側面」と「対人的側面」からその効果を得ているようです。
不安定になっている自分の心を安定させる
つらいことがあった時は、モヤモヤしたり不安になったりするもの。
こういった経験があったとき、人は自分自身や他の人、世界に対する信頼や認識を大なり小なり揺るがされます。
何が起きていたのか整理したい。
どうしてこういう経験をしたかを明らかにしたい。
こういったことが起きた時、どういう社会的なサポートが得られるかを知りたい。
自分にとってコントロールできないことが起きた際、上記のようなことについて他者と話し合い、改めて自身の中での世界への信頼を回復させる必要が出てきます。
これらは「認知的側面」からの、他者への感情の吐露することの理由だと考えられます。
社会とのつながりを保つためのコミュニケーションの側面
また、つらいことがあった時、人はどうしても自分に起きたことについて考える行為に集中してしまい、社会に目を向けられなくなりがちです。
その状態の時に感じるさびしさから回復するために、人は嫌な経験について、友人や家族に共有します。
「自分の状態を社会に知ってもらいたい。受け入れてほしい。」という強い気持ちを他者に表明し、コミュニケーションを求めるのです。
この事象は、つらいことを話す理由の「対人的側面」だと言えます。
恥ずかしい経験は、すぐに話したくなる?
「スピーチで大恥をかいた」「何もない場所で転んだ」など、生活の中でちょっとした恥ずかしい経験をすることは珍しくありません。
ある大学で、「最も悲しかった出来事」「最も怒った出来事」「最も恥ずかしかった出来事」について、他者にそのことを話したか、またそのタイミングはいつだったかについての調査が行われました。
恥ずかしいことは他の人に話したくないものかと思いきや、参加者たちは71.4%の割合で他者とその経験を共有していました。さらにそれらは、約半数の割合で、出来事の直後に共有されていたのです。
あらゆる人が、他人と気持ちを共有している
これらの行動は、日本でのみ見られる特異なものではありません。
ベルギー、スリナムなど6箇所にまたがって行われた感情の社会的共有行動に関する調査では、国による差や年齢差、性別による差は認められませんでした。
人と話している時に「今日恥ずかしいことがあって…」と起きたことについて語ってしまうのは、古今東西、老若男女共通の現象のようです。
とはいえ、ネガティブな経験を共有した相手には、多かれ少なかれストレスがかかってしまいます。
ひとりの人にすべてを吐露するよりは、何人かの人に分散して話すのが得策かもしれません。
つらい場面、恥ずかしい場面を体験した時、人に共有する行為はごく自然なこと。
家族や友人とお互い支え合って、そういった体験を乗り越えていきたいものですね。
Image:Unsplash
Source:
「感情を語る理由:人はなぜネガティブな感情を他者に語るのか」(川瀬 隆千 宮崎公立大学人文学部紀要 2000-03-21)